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私が公認会計士・税理士になるまでの話

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2019.05.11

高校から大学、そして「セガエンタープライズ」へ

高校時代は数学が得意だったので理系クラスに所属。しかし、時がつれ、数学以外の課目がより本格化していく中、他の理系課目にはなかなか関心を持つことが出来ませんでした。さらに理系クラスにいても特別進路の希望がなかった私は理系の学科に進学することに疑問を感じ始め、というか受験自体に疑問を感じ始め、徐々に受験にやる気を失ってしまいました。そこで私は考えました。この受験の先にはいったい何があるのだろうかと。微分・積分なんぞ一生懸命やったところで将来数学の研究者にでもならないかぎり関係ないのではないか、などとなかばやけくそになっていく中で、これからは自分で勉強する意義を見出せない限り金輪際勉強するのは止めようと決意するのでした。とはいえ、いきなり受験を止めてしまうほどの勇気もなかったので、心理学や教育学なんかは比較的興味が持てそうだったのでそっちの方に進むことにし、実際はさっさと大学に進学して自分の趣味であったエレキギターを極めてみようと思っていました。
ところが、ご存知のように入学した筑波大学というのはとんでもない田舎でバンドメンバーも十分に集まらないような苦しい状態でした。さらにみんなの遊び場といえばやたらめたらと点在するテニスコートや喫茶店ぐらいなものです。しかし、ここでゲームセンターとの運命の出会いをするのです(というほどおおげさなものではないのですが)。ほかにたいして行く場所のない我々はゲームセンターに集まり、夜な夜な楽しく時間を過ごしていたのです。そしてこんなことをしているうちに時は就職シーズンとなりました。そこで何か面白そうな仕事をと思って選んだのが当時の㈱セガエンタープライス(現㈱セガ)でした。大学の音楽サークルの先輩が先に㈱セガエンタープライスにゲーム制作職で就職していたことがきっかけではありましたが、仕事自体が面白そうだったこと、ゲームに学生時代慣れ親しんでいたこと、ゲーム業界の将来性がありそうなことなどを理由に就職先として選択しました。

おもしろおかしい会社セガでの毎日

この当時のセガというのは今ほど大きな会社でなくハチャメチャな会社でありました。服は私服でOK,漫画を読むのも仕事、無断欠勤、無断遅刻当たり前、上司のいない夜ともなれば会社は遊び狂う人達があふれという状況でした。あまりみんな出勤時間を守らないものだからあげくの果てにフレックスタイムが導入されると、今度はフレックスタイムでいなきゃいけない時間の最後である午後3時過ぎたらみんなといっしょに車でラーメン食べに行ったり、ビリヤードやりに行ったりの毎日。給料も安くみんなお金がありません。ある日、後輩が川崎に150円のラーメン屋があるんですよという話をしてきました、そうすると周りのみんなは「そんなわけねえだろ」という感じになりましたが、そうまでいうなら早速行ってみようと店に会社の車でいきなり行ったりしてました。実際に行ってみると普通に150円でラーメンを店で提供していて驚きました。現在でしたらこのラーメンの原価率はいくらで人件費や家賃の固定費を回収するには月に何杯売らなければいけないだろうか?などと考えてしますところですが、当時は何か危ないものでも入ってるんじゃないかとビクビクしながら食べていた思い出があります。。

このまま面白おかしいだけではいけないと気づくのであった

㈱セガでの生活は上下の関係もほとんどなく、おもしろおかしい毎日でした。しかしあまり面白おかしすぎるとさすがに人間不安に陥るものです。私も大学時代の友人が会社の研修だとかいって研鑚をつんでいる姿をみるとさすがに焦りを感じます。なかにはアメリカのMBAを取ろうとする人も現れてきます。そうこうしている内に私もより一層勉強しなければならないのではないかという気になってきたのです。当時はほぼバブル景気真っただ中といった感じでしたが、一介のサラリーマンである自分にその恩恵がかっつりまわってくることはありません。なんにしても自分の手でつかみ取らなければなりません。
また、その当時㈱CSKの大川社長の大川イズムがセガにも流れていたので、大川社長のみんなでいっしょに金持ちになろうやという言葉に徐々に感化され、俺も一丁やらねばという気になってきたのです。さらに、その当時セガが株式公開をし、みんなが株長者になっていくのをみて、単にサラリーマンでやっていてはいけないのではという気持ちになってきたのです。そこで、元手がいらない、勉強になる、自分のやりたい仕事ができるなどの観点から、公認会計士の資格をとって独立しようという考えに至ったのです。会計士の試験科目が自分の勉強したい課目であったし、仕事内容が自分が独立事業者であるとともにさまざまな経営者の経営のお手伝いができる喜びがあると思ったので受験の決意自体には全く迷いがありませんでした。高校時代にこれからは自分で勉強する意義を見出せないかぎり、金輪際勉強するのを止めようと決意してから10年ほど経ったころのことでした。